日記
こだわり(笑)
「こだわりのコーヒー」ってなんだろうって思います。
たまに僕の店を紹介してくださる方が「こだわりの一杯」というキャッチコピーを使うのですが、正直そんなにこだわってません。
美味しいよりも自分が好きかどうかが全てなので、店のラインナップは直感です笑
それがいい素材であるとか、環境に優しいとか、体にいいとかそんなに気にしないです。
タウン誌の取材で「お店のこだわりはなんですか?」と聞かれた時に、本当に出てこなくてインタビュアーの方と苦笑いしたのを覚えています。
そのときは「地元の大工さんに、木材を使ってもらって……」と、店の構造のことを言ったのですが
たぶん質問の答えではなかったのですよね?笑
でも最近他のコーヒー屋さんを巡ると「ちゃんと作ってていいなぁ」って羨ましか思うことが非常に多いです。
さて、コーヒーのこだわり。
新鮮なこと?
丁寧にハンドピックで欠点豆を取り除いていること?
でもみんな、わざわざ言わないだけできちんと気をつけてるとこですもんね。
新鮮なコーヒー というキャッチコピーは、もう新鮮ではないんですね。
じゃあこだわりとは?
言わないのが美学だと思いました。
聞かれたら答えるけど、こっちからは言わない。
「おすすめで」と言われたら「友達かよ」って思いながらも、一緒に好みの味を選ぶ。
普通のことを、何も言わずに当たり前に、普通にやるのが1番。
この前インスタで
「当店ではコーヒーにミルクや砂糖を入れてもOKです。通はブラックで飲むべしとか、そういう押し付けやこだわりを持たずに、好きに飲んでいいんです」
と言っているコーヒー屋さんが、コメントですごく絶賛されていて
それすらも、言葉にするとなんか違うって思って嫌悪感がわきました。
↑たぶんこう言うのも言わないで秘めておけばいいんだよね笑 知ってるよ
結局、インタビュー終了間際になって「あ!こだわりありました!」と閃いたのは
「業務用を使わないこと」でした
グラインダーも、エスプレッソマシーンも家庭用。
焙煎機すら、ヤフオクで買った、焙煎機を自作している方の無名のマシーン。
ドリッパーも近場で買ったもの。
(そういえば最近、ドリッパーやケトルをもらいました。精進しろよというメッセージだと思ってありがたく頂戴します。ありがとうございます。)
コーヒーは身近なもので、気軽に楽しんでほしいから、できるだけ家庭用を使うようにしています!
と、それらしい理由を後付けにしました。
なんかいいよね。
で、カットされました笑
なので最近、ついに業務用のシーラーを買いました。
もはや、なんのこだわりもありません。
やっぱり転機
小説家、伊坂幸太郎がエンジニアを辞めて小説一本でやっていくと決めたきっかけになったのは
斉藤和義の「幸福な朝食、退屈な夕食」という曲だったそうで
自分もその力にあやかろうとして同じ曲を聴いたのですが、何も感じなかったんです。
そりゃあそうなんですけど、じゃあ自分の転機って何だったんだろうなって今でも時々考えます。
いろんな人にも聞かれます。でも覚えてないんですよね。
だからその都度、その場で思いついたことをそれらしく喋っているのです……笑
最近、臨床実習でお世話になった指導者(以下Kさんとします)の近況を耳にしました。
Kさんは僕が就職して数年で現場を離れて管理職になってしまったので、ほとんど一緒に仕事することはなかったのですが、一応はKさんに憧れて入職したということになってました(この件についてはいまだに誰も信じてくれません)
事務長には事あるごとに「あの人を臨床に戻してください。ああ見えて臨床でないと輝けない人です」と伝えていたのについにかなわず、Kさんは家庭の事情で遠くへ引っ越ししてしまいました。
それが最近、新天地で再び臨床に戻ったらしいという話を又聞してとてもうれしくなりました。
いつかまた肩を並べる日がくればいいし
来なくても同じ方向を向いていると感じるだけでなんだか心強いです。
自分はいろんなものにたいして興味がなく、流されて生きてきたので
※この件についてはいつか書こうと思って、でも理解されないだろうからと下書きに放り込まれています
「何かを決意する」ことができず、言い訳を探したり、できない理由を並べたりするのが得意でした。
作業療法士になるための実習をしながら、作業療法士になるのをやめる理由を探していた時なんてもうわけわからなかったんですけど、結果的にKさんに出逢えて今の自分があるので、やっぱ転機はあったんだと思います。
出逢いって見つけるものじゃなくて
なんだあの時のあれがそうだったんだって後から気づくものなんだよ
って、伊坂幸太郎のアイネクライネナハトムジークで書いてあったのとおなじで
転機も、転機にしようとして聴いた音楽では成立しないものなんですね
病院を辞めると決めてから、Kさんに報告したときも
「いいじゃん。そのうち俺も独立したくなったらやるからお客さん流してな」と笑っていてたのも忘れません。
他の人は「いいなー」とは言うものの「やればいいじゃないですか」といえば「自信ないから」と言うんです
自信ないのに臨床で診療報酬はもらえるの?ってもやもやしてたから余計にKさんの言葉がスッと入り込んできたんだと思います。なんて適当な人なんだと常々感じていたのに、その適当さにまたしても救われたか後押しされた気分でした
必要なタイミングでほしい言葉をかけてくた人がいて、それが自分の転機だった。
ただそれだけ。
そして僕が作業療法士になろう、なれると思って卒業まで頑張れたのも
黒田さんでできるなら
自分にもできるんじゃね?
と思ったからです
ありがとう、黒田さん。がんばれよ、先輩♡
のびしろ
夏の甲子園が近づいてくると読みたくなる漫画「ラストインニング」で鳩ケ谷監督が
「(ピッチャーという生き物を)信頼しても信用するな」というのをすごく印象深く覚えています
信用が今までの実績やスペックなどの見える部分
信頼はこれからの未来や性格などの見えない部分
という解釈をしておりますが
そうすると仕事におけるパートナーとは何が理想なのでしょうか
病院勤務時代、仕事を任せれば彼ならきっと丁寧にこなしてくれるだろうと信頼できる(つい頼ってしまう)人がいました
しかし、独立した今、その人に今の自分の仕事をまるっと任せられるか(自分の代わりを完遂してくれるか)というとそれはちょっと違う気がするんです。
信用があるから信頼してるのでは?とは思いますが、信用の先に信頼があるわけではないのです
例えば仕事はできるけど、性格的にきちんとやってはくれないというパターンは、「仕事内容は信用するがあいつは信頼できる奴じゃない」
反対に性格的にはきちんとやってくれるけど、内容は求めているレベルではないというパターンは「あいつは信頼できるが、仕事は信用ならない」となるわけです。
信用も信頼も求めるなんて贅沢なのかもしれません
鳩ケ谷監督はキャッチャーに「あいつ(ピッチャー)は頼れるが、確実に要求したボールがくるわけではないから気を付けて手綱を握れ」ということを伝えたかったわけです。
さて本題。
今の僕には仕事におけるパートナーがいません。
そういうの向いてないなと思って独立したのもあるので。
僕は昔から「自分にしかできない仕事」というのが好きでした。自分が必要とされているような気がするからという単純な理由なのですが。
ところが会社にいたら「自分にしかできない仕事」というのは認められず、誰でもできるようにする、その人が抜けたら困るようなことはだめ
というのが鉄則になるわけです。
だったら自分にしかできない仕事を存分にやってやろう
自分の求めているものを追及していく限り
信頼できる人がいるのはいいが、自分の仕事を簡単に任せるようなことはしないほうがいい、とどんどんひねくれものになるんです
そんなへそ曲がりの僕が6月にとてつもない衝撃を受けました
能代にある、ぱんかふぇ すーる さんがうちのコーヒーを期間限定で出したいというオファーがあったときです。
いままでうちのコーヒーをよそで提供する機会がなかったので正直断りたかったのですが
バリスタさんの能力を全面的に信用していたので引き受けました。
6月が終わった今となっては感謝しかありません。
はっきり言ってこっちはまだ二年目のコーヒー屋。
どんなに気を付けて丁寧に焼いても味はぶれます。
それを人知れず微調整して最適な抽出をし続けてくれたバリスタさん
病める時も健やかなる時も
喜びの時も悲しみの時も
コーヒーを愛し、推し続けてくれたバリスタさん
生産者の想いだけでなく、僕の意図まで汲んでくれたバリスタさん
信用も信頼もできるパートナーがいるって、すごいことだなと実感しました
そして7月になった今、バリスタさんが、他店のコーヒー豆を全力で押しているのをInstagramで見るたびに嫉妬さえ感じます
ベタ惚れですね(笑)
そういえば最近、保険外リハの先輩とも共同でデモンストレーションをおこなったのですが、これも印象深かったです。
内容は面倒なのでかきません(笑)
こういうのって文字にすると味気ない
とにかくこの6月はとても濃い一か月でした
研修などで「学ぶ」のとは別に
仕事を通じてぶつかり合って語り合って
お互いを「高め合える」そんな成長のしかたもあるのかと感じることができました
いま、先輩に旧式といじられたパワポを脱し、「絶対に作らない」と宣言したオシャレスライドを作成しながらそんなことを思ったのでつらつらと書きました
これも成長?笑
職人の話
6秒間の軌跡~花火師・望月星太郎の2番目の憂鬱というドラマが好きで、欠かさず見ているのですが
最近すごくハッとしたやり取りが二つほどあって
※ドラマの内容に触れるので、知りたくない方はご注意ください
一つは星太郎(主人公)が父に「親父は俺に仕事継いでほしいと思ったことある?」
と尋ねた場面で父が
「継いだほうがいいかなと思って継ぐなら要らねえよ。やりたいならやればいい」
と返した場面です。
僕の実家は今年で122年目になる精肉店で、それを周りに言うと
「継がないの?もったいない」と言われるのですが
そりゃあ僕だってそうは思うし、違うことをやってるのを申し訳なく感じていますよ。
でも商売ってそんなに簡単じゃないし、刺身一枚切るのだって肉屋と魚屋が切るのでは大違いなんです
それぐらいに、父親の仕事はすごいと思うのです。
※このあと数行にわたって愚痴が書かれていたのですが、その下書きを読み返したらさすがにひどいなと思って削除しました笑
ちなみにうちの父は「肉屋やれ」とは言いません。どう思ってるかは知りませんが
ただ、関係ない周りの人に「肉屋継げば?」と言われたら「継いだらほかで肉買うなよ?」と言いたい気持ちを抑えて
「ですよねー」と作り笑いを浮かべるくらいの寛容さは、僕にだってあります
もう一つは
火薬の配合という門外不出のレシピを同業者に見られて動揺する主人公に、住み込み従業員が
「料理ってね、レシピ通りに作っても同じようにできないんですよ」と諭すところです
これはおそらくお菓子屋さんとかパン屋さんも、あとコーヒーを焼いている人も気にする部分だと思うのですが
季節というか気候(気温や湿度など)でなんとなく調整している部分ですよね。
ようは職人と呼ばれる人たちが、言葉では伝えられない部分だと思っています。
僕も一応は作業療法士という職人だと、自分では思っています。
医学的根拠だとか研究データとかをないがしろにするわけではないけれど
人対人だからこそ、生きている場面で自分の中にある過去の経験とか毎日積んできたものが活きる
山梨の師匠がそんなことをよく言ってました。
確かにそうなんです。
前回の日記でも書きましたが、こうすればこうなるだろうというある程度の予測をたてて臨んで、そこでイレギュラーにどう対応して場面を作っていくかというのが腕だと思っています。
事前に準備したものほど失敗するし
前回反応が良かったからって今回もうまくいくとは限らない。
どんなにお膳立てをしても、相手の神経系がどう知覚して解釈して表出してくるかなんてわからないことの方が多いのです。
それは対象者の体調や心境による部分もちろんですが、療法士側にも不確定要素はあります。
常に同じパフォーマンスができるようにコンディションを整える。
不測の事態に対応できる技術と気持ちを鍛える。
その上で自分という個性を表現していく。
そんなことができたらいいなーと思って仕事しています。
最高の一杯とは
少量のお酒を毎日飲むと、肝臓は解毒できるが脳には悪影響を与え続けアルコール依存症になる
という警告を見て、「やば……」と感じながらもついついお酒を飲んでしまう店主です
朝市の前日は飲みません。毎日朝市ならいいのに
いつ誰と話してた時かはうろ覚えなのですが「お酒は飲むんだけど、おいしいお酒が飲みたいよね、精神的にね」
という話をしていて、ようは「おいしい」というのは物理的なものでなくて情緒的なものという話なのですが
最近、百年文庫の「釣」に載っている二閑人交游図/上林暁を読んで理解が広がりました
以下抜粋
「なんだか今夜の酒はまずいようだが、この前の酒と違ったかな」
「いや、酒は同じようだが……。僕はうちで果物を食ったせいかな」
「僕はなんにも食わないが……。どうもいつもほど酒がおいしくない。まだ黄疸が癒りきらないせいかな」
「なんと言っても、釣りから帰ってひっかける一杯が一番おいしいですよ。」
「酒は結局、勢いですなア。」
「勢いが随分影響しますね。」
「考えたり、構えたりして、理性をはたらかしたり、事務的に飲んだりしては、酒はおいしくないですなア。」
「それはそう。」
「さっき湯から出た時来ればよかったなア。」
「いや、さっき来たにしても、仕事が頭にあっては、やはりおいしくなかったでしょうよ。」
という男二人のやり取りなんですが、ものすごくわかるんですよ。
一人が湯上りの酒を誘うが、もう一人が仕事を片付けてから飲んだほうがうまいと思って先に仕事を片付けてやっと飲んだ酒が二人ともあまりおいしくない。では風呂上りに飲めばよかったか、だがそれでは仕事が気になってうまくない。結局仕事が悪い。よし日を改めようなんていう話なんですけど、
僕も湯上りのお酒を我慢して洗い物などを済ませてから読みかけの小説を広げてベストコンディションだと思って飲んだ酒がおいしくないなんていうことがよくあるんです
ははーん、なるほどね。そういう原理であったかと妙に納得してしまいました。
これは、長年関わってきた作業療法の仕事や治療の真理的な部分に通づることがあるんですけど
うまく言葉にできるかどうかわからないので次回にします、たぶん。
※また日記更新サボったなというクレームは一切受け付けておりません。
今日は酒、そして最高の一杯のお話です
僕はラガービールより、エールビールが好きです。
エールビール=クラフトビールという誤解があるようですが
まあ、キンキンに冷やさず、のど越しよりもフレーバーを楽しむビールと心得ております。
ヤッホーブルーイングのよなよなエールや僕ビール、君ビール(屋上のジョンが一番押しでした)。インドの青鬼
ハワイコナのゴールデンエール、ハナレイ
ブリュードッグのパンクIPA
ギャレスのアジトのHazy IPAにAmerican Wheat
VEDETTの白ビール(これは感染症流行時下、生ビールをテイクアウトという悪行を成し遂げたくらい好きです。びいる亭かづの様、その節はお世話になりました)
など挙げればきりがないのです。たぶん小麦系のビールが好きです
とくに岩手にあるベアレンのビール全般が大好きです。
ビールも好きなんですが、ベアレンという会社が大好きなんだと思います。
創業者の蔦田さんが書いた「つなぐビール」という本を読んだときは2回泣きました。興味のある方は、店にも置いてあるので是非読んでほしいです。
本の中で蔦田さんは「人は必要なものだけでは生きていけない」と綴っています。
これはコーヒーを始めようかどうか悩んだときにすごく心に響きました。
この一杯にはこういう背景があって、こういう思いが込められているんだよと
頭で理解して飲む一杯がおいしい場合もあれば
なんでもいいから、どうしても今飲みたいと思うときに出てくれば問答無用にうまい一杯もあるわけです
別にどっちでもいいんですよね。
人生に必要なものではないから(笑)
ただ……
あ、ここから結局はコーヒーの話になってしまいますが
最近「どんな香りで、どんな味がするか」よりは
「どういう気分にさせるか」とか「どんな時に飲みたいか」を重視して、提供するコーヒー選びをしています
たいていの人は「ブレンドで」とは「ホット一つ」と注文されますが(批判してるわけではないですよ)
たまに「今夜勤明けの一杯飲みたくて」とか「午後から頑張れるやつください」とオーダーされると俄然やる気が出ます。
ちなみに僕にとって最高の一杯は
山梨の師匠のところで一週間くらい泊まり込みで修行させてもらったときに(※リハビリのほうの師匠です)
近場のセブンイレブンで買ったドリップバッグに富士の銘水を沸かして淹れて
富士山(の方角)を見ながら飲んだモーニングコーヒーです
なんでこれを思い出したかというと、なんとなく見入ってしまったテレビドラマ
6秒間の軌跡~花火師・望月星太郎の憂鬱の続編がいつの間にか始まっていたからです
ここ数日TVerとテラサを駆使してなんとか追いつきました。
6日間暮らしただけなのに、ちょくちょく通っていたおかげか
ドラマを見てすぐに「ここ山梨じゃね?」と気づいてテンション上がったのが原因か
単に本田翼がかわいいからか
唯一積極的に見ているテレビ番組です
あれ?なんの話だっけ?