日記
やっぱり転機
小説家、伊坂幸太郎がエンジニアを辞めて小説一本でやっていくと決めたきっかけになったのは
斉藤和義の「幸福な朝食、退屈な夕食」という曲だったそうで
自分もその力にあやかろうとして同じ曲を聴いたのですが、何も感じなかったんです。
そりゃあそうなんですけど、じゃあ自分の転機って何だったんだろうなって今でも時々考えます。
いろんな人にも聞かれます。でも覚えてないんですよね。
だからその都度、その場で思いついたことをそれらしく喋っているのです……笑
最近、臨床実習でお世話になった指導者(以下Kさんとします)の近況を耳にしました。
Kさんは僕が就職して数年で現場を離れて管理職になってしまったので、ほとんど一緒に仕事することはなかったのですが、一応はKさんに憧れて入職したということになってました(この件についてはいまだに誰も信じてくれません)
事務長には事あるごとに「あの人を臨床に戻してください。ああ見えて臨床でないと輝けない人です」と伝えていたのについにかなわず、Kさんは家庭の事情で遠くへ引っ越ししてしまいました。
それが最近、新天地で再び臨床に戻ったらしいという話を又聞してとてもうれしくなりました。
いつかまた肩を並べる日がくればいいし
来なくても同じ方向を向いていると感じるだけでなんだか心強いです。
自分はいろんなものにたいして興味がなく、流されて生きてきたので
※この件についてはいつか書こうと思って、でも理解されないだろうからと下書きに放り込まれています
「何かを決意する」ことができず、言い訳を探したり、できない理由を並べたりするのが得意でした。
作業療法士になるための実習をしながら、作業療法士になるのをやめる理由を探していた時なんてもうわけわからなかったんですけど、結果的にKさんに出逢えて今の自分があるので、やっぱ転機はあったんだと思います。
出逢いって見つけるものじゃなくて
なんだあの時のあれがそうだったんだって後から気づくものなんだよ
って、伊坂幸太郎のアイネクライネナハトムジークで書いてあったのとおなじで
転機も、転機にしようとして聴いた音楽では成立しないものなんですね
病院を辞めると決めてから、Kさんに報告したときも
「いいじゃん。そのうち俺も独立したくなったらやるからお客さん流してな」と笑っていてたのも忘れません。
他の人は「いいなー」とは言うものの「やればいいじゃないですか」といえば「自信ないから」と言うんです
自信ないのに臨床で診療報酬はもらえるの?ってもやもやしてたから余計にKさんの言葉がスッと入り込んできたんだと思います。なんて適当な人なんだと常々感じていたのに、その適当さにまたしても救われたか後押しされた気分でした
必要なタイミングでほしい言葉をかけてくた人がいて、それが自分の転機だった。
ただそれだけ。
そして僕が作業療法士になろう、なれると思って卒業まで頑張れたのも
黒田さんでできるなら
自分にもできるんじゃね?
と思ったからです
ありがとう、黒田さん。がんばれよ、先輩♡