日記
のびしろ
夏の甲子園が近づいてくると読みたくなる漫画「ラストインニング」で鳩ケ谷監督が
「(ピッチャーという生き物を)信頼しても信用するな」というのをすごく印象深く覚えています
信用が今までの実績やスペックなどの見える部分
信頼はこれからの未来や性格などの見えない部分
という解釈をしておりますが
そうすると仕事におけるパートナーとは何が理想なのでしょうか
病院勤務時代、仕事を任せれば彼ならきっと丁寧にこなしてくれるだろうと信頼できる(つい頼ってしまう)人がいました
しかし、独立した今、その人に今の自分の仕事をまるっと任せられるか(自分の代わりを完遂してくれるか)というとそれはちょっと違う気がするんです。
信用があるから信頼してるのでは?とは思いますが、信用の先に信頼があるわけではないのです
例えば仕事はできるけど、性格的にきちんとやってはくれないというパターンは、「仕事内容は信用するがあいつは信頼できる奴じゃない」
反対に性格的にはきちんとやってくれるけど、内容は求めているレベルではないというパターンは「あいつは信頼できるが、仕事は信用ならない」となるわけです。
信用も信頼も求めるなんて贅沢なのかもしれません
鳩ケ谷監督はキャッチャーに「あいつ(ピッチャー)は頼れるが、確実に要求したボールがくるわけではないから気を付けて手綱を握れ」ということを伝えたかったわけです。
さて本題。
今の僕には仕事におけるパートナーがいません。
そういうの向いてないなと思って独立したのもあるので。
僕は昔から「自分にしかできない仕事」というのが好きでした。自分が必要とされているような気がするからという単純な理由なのですが。
ところが会社にいたら「自分にしかできない仕事」というのは認められず、誰でもできるようにする、その人が抜けたら困るようなことはだめ
というのが鉄則になるわけです。
だったら自分にしかできない仕事を存分にやってやろう
自分の求めているものを追及していく限り
信頼できる人がいるのはいいが、自分の仕事を簡単に任せるようなことはしないほうがいい、とどんどんひねくれものになるんです
そんなへそ曲がりの僕が6月にとてつもない衝撃を受けました
能代にある、ぱんかふぇ すーる さんがうちのコーヒーを期間限定で出したいというオファーがあったときです。
いままでうちのコーヒーをよそで提供する機会がなかったので正直断りたかったのですが
バリスタさんの能力を全面的に信用していたので引き受けました。
6月が終わった今となっては感謝しかありません。
はっきり言ってこっちはまだ二年目のコーヒー屋。
どんなに気を付けて丁寧に焼いても味はぶれます。
それを人知れず微調整して最適な抽出をし続けてくれたバリスタさん
病める時も健やかなる時も
喜びの時も悲しみの時も
コーヒーを愛し、推し続けてくれたバリスタさん
生産者の想いだけでなく、僕の意図まで汲んでくれたバリスタさん
信用も信頼もできるパートナーがいるって、すごいことだなと実感しました
そして7月になった今、バリスタさんが、他店のコーヒー豆を全力で押しているのをInstagramで見るたびに嫉妬さえ感じます
ベタ惚れですね(笑)
そういえば最近、保険外リハの先輩とも共同でデモンストレーションをおこなったのですが、これも印象深かったです。
内容は面倒なのでかきません(笑)
こういうのって文字にすると味気ない
とにかくこの6月はとても濃い一か月でした
研修などで「学ぶ」のとは別に
仕事を通じてぶつかり合って語り合って
お互いを「高め合える」そんな成長のしかたもあるのかと感じることができました
いま、先輩に旧式といじられたパワポを脱し、「絶対に作らない」と宣言したオシャレスライドを作成しながらそんなことを思ったのでつらつらと書きました
これも成長?笑